読んだことが無いので内容は分かりませんが、ABO式血液型による性格判断だと言うのは、知っています。
そして、少なくとも私の学校の、私が話したことのある生徒は、そのほとんどがこれを信じていました。
科学的見地からすれば、これの根拠は全くと言ってよいほどありません。
さらに、これが通用するのは、「性格」に関係するものが、血液のABOのみ、という前提付きです。
・・・しかし、本当の問題は、そこではありません。
この説が本当かそうでないか、というのは、2次的な問題です。
私が学校でこんな風に訊かれたとします。
相手:「ねぇ、3104君って何型?」
私: 「B型」
相手:「あー、やっぱり~」
この会話から何が分かるでしょうか。
私に訊ねた、この相手という人物は、
・「B型ということは、○○ということである」
・「B型であれば○○」
という思考のループが出来上がっている、と言えます。
そして、この思考のループ、というか「凝り」は、どの様な判断をするときにも出てくるものなのです。性格判断だけには留まりません。さまざまな場面で、この××は○○、という「暗黙の定義」は横行しています。
これがどれだけ恐ろしい事なのか、理解できている人がどれだけいることか。
大人の方は分かっている方がほとんどだと思います(もちろん、この大人とは、年齢のことだけではありません)。しかし、これから社会の中心となっていく世代が理解していなければ、非常に危険な状況になるのは目に見えています。
要は、科学的思考力の欠片もない人間を生み出している、ということなのです。
そして、だいぶ時代背景などが違うものではありますが、これの最たる例を私は知っています。
ユダヤ人差別です。
「我々はこんなにも困窮しているというのに、なぜ彼らは裕福に、幸福に暮らしているんだ」
「彼らがユダヤ人だからだ」
「ユダヤ人は他の民族から幸せを奪う」
「あの人ってなんであんなに空気が読めないのかしら」
「あいつはB型だからね」
「B型は自己中心的だもん」
ということが、言えなくも無いんではないでしょうか。
一括りにすれば、問題が分かりやすく解決したような気になりませんか?
まさにヒトラーはそこを利用(心底そう思ってたかもしれませんが)したのだと思います。
とまぁ、またまた偉そうにぶち上げてしまいましたが・・・・(汗) なんでこんなに偉そうにしてしまうのか、自分でも分かりません。多分、怒りを感じているからだと思いますが。
その、なんというか、今私が書いたことも、私自身が疑ってかかる、そんな精神が大事だということでしょうか。
あれですよね、もしこの性格判断が本当だとしても、なぜ違う血液型同士のけなし合いになるのか。それも見えてきますよ。
なぜそうなるのか、表面を見るのではなく、その行動心理に目を向ける、ということが、本当の「考える」ということだと思います。